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陶芸作家

岡 歩 さん

和歌山県出身

陶研第22期生(2006年修了)

焼き物屋が珍しい和歌山で、焼き物屋の家に生まれました。小さい頃から粘土で遊びはしましたが、なりたい職業は漫画家さんと芸人さんでした。学校でうまくやれなくて、気持ちを遠くに連れて行ってくれる漫才や漫画に毎日夢中でした。 

高校生になって、泥だらけで不安定な生活をする焼き物なんて自分は絶対やるものかと思っていたはずなのに、だんだん親の仕事や生活が良いものに思えてきて、高校卒業後に陶芸研究所に入所しました。

全然漫画も漫才も関係ない世界に入ったのですが、気づけば今、土で漫画を描いて、展示会場ではキャラクターに扮して芸人の真似事をしながら、なんだかんだでやりたい事を全部のせして、土を通して好きなことができています。

もし漫画家や芸人を目指していたら、誰かに影響されすぎたり、自意識過剰で発表できなかったり、きっとしんどかったと思います。三度の飯より好き!って言い切れない程度に好きな焼き物だったから、楽しく続けられたのかもしれません。

「岡モータース」が生まれたきっかけは、陶芸研究所を修了してから約3年後のことでした。当時はまだアルバイトをいくつか掛け持ちながら作陶を続けていたのですが、陶芸教室のアルバイトの後に夜遅くまで郵便局で年賀状の仕分けをしていた事がありました。郵便局のアルバイトを終え、クタクタの帰り際に駐車場にズラリと並んだ真っ赤な配送車を目にした瞬間、それが明日の仕事のためにスタンバイしている仕事人のように見えて、思わず「おつかれさまでした」って頭を下げてしまったんです。で、その言動に自分でも驚いて、いまのはなんだったんだろうという不思議な気持ちになりました。きっと疲弊した心身と相まって、真っ赤なクルマの群像に圧倒されたんだと思いますが…。

その体験をもとに、四つん這いで手足にタイヤを履いた郵便局員を作りました。それからは街行く車やバイクが、もし人だったらこんな感じかな?と次々形にしていきました。

そんな折にグループ展に誘ってもらったのを機に作品を発表。展示会には色々な車を並べたので実質車屋さんだと思い、わたしは創業1986年の「無限会社岡モータース」という架空会社を立ち上げ、ちょびヒゲとツナギ姿に扮することになりました。(今は2期社長という体でヒゲはつけていません)

岡モータースを始めてから縁に恵まれていろんな場所に行けました。それこそ見えない車に乗ってどこかに連れて行ってもらっているような感覚です。

わたしの作品にはどれをとっても「顔」がついています。「顔」を描いているとなんとも言えない楽しい気持ちになります。幼い頃から「顔」に惹きつけられるところがあって、家に来たお客さんの似顔絵を描いてはその絵をお客さんに渡していました。

わたしの作品で人間以外の物にも顔を付けてしまうのは、物を擬人化したアニメや絵本、親からの「お米の中には神様がいるんやで!」などの刷り込みで全ての物に魂(顔)が宿っている気がしてしまうからです。たまたまなんかを調べたついでに見つけたアニミズムという言葉がまさにそれで、多くの人が持つ感覚なんだなと腑に落ちました。

毎回展示のテーマが変わるので、展示毎にテーマにまつわる物を調べて、そこに自分の思う事や憧れ、思い出を混ぜて制作して、会場をイメージして衣装や小物を用意します。本気のごっこ遊びという感じです。展示の直前は「こんな自己満、誰が喜ぶねん」って消えたくなりますが、始まるといつも「やりたい事やってなんとかなった、焼き物があってよかった」と思います。うまくやれなかった昔があるので、運良くなんとかなってる今が夢みたいです。

以前、常滑の大先輩作家さんたちのお話を聞いている時に常滑は縦でなく横に広がってると言っていました。キャリアがあっても偉ぶらず、気さくに教えてくれたり、ご飯に呼んでくれたり、良い大人にたくさん出会えるきっかけがあったので今があるなと思います。陶研の同期、同世代の同業にも恵まれて、頑張っている皆の姿に力をもらっています。常滑に流れ着いて良かったと思います。

陶芸研究所に入所する方へ

わたしは研修時代に自分がポンコツな事を知るのも知られるのも嫌で授業や制作から逃げ出してしまいました。今になってあー…もったいない事をしたと後悔しています。

陶研に入ったなら、人の目を気にせず、わからない事があれば質問して、2年間うまくいかない事をさんざんやってほしいな…と、しくじり先輩は陰ながら思っております。

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